地域分析北区

北区は、名古屋市の北の玄関です。
JR中央本線、TKG城北線、市営地下鉄名城線・上飯田線、名鉄瀬戸線・小牧線などの鉄道や、名古屋高速道路1号楠線、国道19号・41号などの幹線道路が南北に走っており、土地の発展に重要な役割を担っています。
従前は区内に工場が多く見られましたが、現在はその多くが撤退し、その跡地に大規模な公営住宅やマンションが多く建てられており、良好な住環境地域として、人口も市内上位です。
また、庄内川・矢田川をはじめとする大小河川が流れ、名城公園・志賀公園・楠公園など緑豊かな公園にも恵まれております。
さらに、コミュニティセンターなどの集会施設、北スポーツセンターなどは多くの市民のふれあいとスポーツ、体力づくりの場に利用されています。
都市に残る貴重な自然環境を生かしながら、住・商・工の調和した魅力的なまちづくりを進めています。

北区の歴史

西志賀町の西志賀遺跡からは弥生時代前期、平手町の志賀公園遺跡からは弥生時代から中世期の遺物が出土していることから、少なくとも弥生時代には当地に生活する人々がいたようです。そして、奈良時代に大化の改新が起こると現在の如意地区は熱田神宮領となった他、各集落で神社が建立されました。
中世期には、現在の志賀公園にあたる地に織田信長家老として知られる平手政秀の邸宅があり、付近を治めていました。
江戸時代当地は尾張藩に属し、新田開発のために開拓が行なわれて、成願寺村・中切村・福徳村・光音寺村・喜惣治新田・大蒲新田・如意村・味鋺村・味鋺原新田・志水蓮池新田・杉村・大曽根村・矢田村・山田村・辻村・上飯田村・安井村・東志賀村・西志賀村・田幡村の20村が所在していました。
明治時代に入って市制町村制が施行されると、それまでの村は金城村・杉村・六郷村・萩野村・川中村・如意村・味鋺村の7村に集約されました。
その後も合併が進み、1906年(明治39年)には如意・味鋺両村が楠村、1933年(昭和8年)には萩野・川中両村が萩野村となりました。
そして、昭和19年に東区と西区の一部を併せて、現在の北区が誕生しました。

区民の声

名古屋市の北の玄関口と呼ばれるように、様々な交通機関とつながっているため、交通の便がとてもよいです。

大規模公営住宅や大きなマンションなどが多いだけでなく、大曾根商店街などの商業施設も充実しており、とても暮らしやすいまちです。

名城公園の北側には、最近、フラワープラザなど緑と触れ合える施設ができたので、都会でありながら緑を感じることができる場所もあります。

人口・住宅平均地価

主要施設

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