地域分析守山区

守山区は矢田川や小幡緑地など緑豊かな自然と、JRや名鉄瀬戸線、ゆとりーとラインなどアクセスの両方が充実した街です。名古屋市の中心部からは少し離れているため、ファミリーが多く住んでいる落ち着いた地域です。
また、文教地区のため大学のキャンパスも多いことから、子どもと学生の活気で溢れています。コンサートなどに広く利用されています。
守山区は、市の東北部に位置し、南に矢田川、北に庄内川が流れ、区の東北端の東谷山(標高198.3m)から西南に向かって丘陵地帯が広がる起伏にとんだ地形です。
豊かな水と緑のあふれる自然に恵まれ、金城学院大学や愛知県立大学、国際学園などのユニークな文教施設や各種の福祉施設も多く、自然環境のよさが生かされています。
さらに、白沢渓谷、小幡緑地公園をはじめとする公園や矢田川、庄内川の河川敷緑地、東谷山フルーツパーク、志段味スポーツランドや守山スポーツセンターなどの市民の憩いの場が多く、スポーツやレクリエーションに活用されています。
また、尾張四観音の一つである龍泉寺、市内最古の古墳である白鳥塚古墳を含む7つの古墳からなる国史跡「志段味古墳群」や、棒の手、神楽、木遣りといった郷土芸能など歴史的遺産にも恵まれ、大切に保存されています。
一方、守山スマートインターチェンジの整備や名鉄瀬戸線の立体交差事業、歴史の里の整備、人・自然・科学が調和する「志段味ヒューマン・サイエンス・タウン」など、新しいまちづくりが進められています。

守山区の歴史

縄文海進によって、現在の名古屋市全域がほぼ海底にあった時代に、この地域は海岸沿いにあったため、太古から人が居住していたと考えられており、古代から数多くの古墳が残されている。
戦国時代には、守山城、小幡城、龍泉寺城などの城が存在し、小牧・長久手の戦いなどの舞台となった。守山城は、松平清康の森山(守山)崩れで知られている。
明治に入ると、現在の守山区の地域は、東春日井郡に属することとなった。1906年(明治39年)には、高間村、二城村、小幡村、大森村の合併により守山町が、一時分立していた志段村と上志段味村の再合併により志段味村が発足した。
戦後は、守山町の瀬戸街道沿道を中心として、住宅開発が続き、名古屋のベッドタウン化が進行した。自治体としては、長く守山町と志段味村が並立していたが、町村合併促進の政策に従い、まず、守山町が志段味村を編入し、市制を施行して守山市となった。隣接する旭町(現・尾張旭市)との合併も検討されたが、1963年(昭和38年)には、守山市が名古屋市に編入合併され(名守合併)、名古屋市守山区となった。
旧志段味村の区域に当たる守山区北部の志段味地区および吉根地区は鉄道もなく、幹線道路整備が遅れ気味であったなど、都市基盤の整備が遅れていたことから、宅地化は進まず、農地と山林が広がっていた。しかし、2001年(平成13年)ゆとりーとラインが開通とともに、竜泉寺街道の拡幅や土地区画整理などの大型開発が進み、大型ショッピングセンターが進出するなど、宅地化が始まった。

区民の声

人が多く、年々人口が増えています。

緑が豊かで、多くの公園があります。

地下鉄が通っていないので、他の区と比べると交通の便が良くありません。

人口・住宅平均地価

主要施設

  • 観光
  • 経済