地域分析中川区

中川区は区の取り組みとして企画されるほど、人を育てる事業を促進している地域。出展体験やウォーキング大会などを通してたくさんの人と交流ができるのが魅力です。住宅区・商業地区・工業地区が揃い、発展を続けている住みやすい環境です。
交通の要所であった名残もあり、鉄道だけでなくバスや幹線道路などの交通網も充実しています。
市の中西部に位置する中川区は、区名の由来となった中川運河をはじめ、庄内川・新川など7河川が流れています。また、土地は低く、起伏の少ない平坦な地域です。
東部は、古くからの商店街を中心に発展を続け、中川運河沿いには鉄工所・木工所・倉庫などが立ち並び、工業地帯を形成しています。また、近年は中川運河沿いで水面を活用したアートイベントが行われるなど、新しい試みが行われてきています。
中央部は、区役所をはじめ主要な官公所が立地し、地下鉄高畑駅周辺は商業地域としても発展しています。また、前田利家生誕の地である荒子には、尾張四観音の一つである荒子観音寺をはじめ、多くの史跡があります。中でも荒子観音寺には、千体以上の円空仏や国の文化財に指定されている多宝塔があり、多くの観光客が訪れます。
庄内川以西の西部は、土地区画整理事業により宅地化が進み、各所に高層の公営住宅、マンション等が建設されています。また、国道302号線と名古屋第2環状自動車道が南北に通じ、東西に走る東名阪自動車道、名古屋高速5号線、国道1号線など幹線道路と接続され、名古屋の西の玄関口として、更に発展が期待されています。

中川区の歴史

中川区(なかがわく)は名古屋市を構成する16区のうちのひとつで、1937年(昭和12年)10月1日に誕生しました。
市制が施行された1889年にはまだ名古屋市に編入された部分は無く、愛知郡と海東郡の町村にわかれていました。1921年に現在の中村区と中川区の区境にあった常盤村と愛知町が旧中区に、八幡村、荒子村が旧南区に編入され庄内川以東が、下之一色町だった一部を残して名古屋市となりました。
そして1931年に庄内川以東の一部が旧南区に編入され、1937年3月に庄内川と新川に挟まれた中州の南半分を占めた下之一色町全体も旧南区に編入されました。同じ年の10月に10区制が施行され、旧中区と旧南区から中川区が分立され誕生しました。この際、中川区の東端を堀川としたために、かつての旧日置村などは村域が分断されてしまいました。
その後、1955年に庄内川と新川の中洲の北半分と、新川の西に広がっていた海部郡富田町を編入して現在の中川区の姿になりました。
中川の名は中川運河からきました。中川区荒子は金沢100万石加賀藩の始祖前田利家の生まれ故郷です。区の西側は市内でも有数の田園地帯が広がっていますが、近年になって宅地化が進んでいます。

区民の声

最近、区画整理が進み、宅地化が進んでいます。

名古屋市の中で、人口が多いです。

名古屋市内では珍しい田園風景が見られます。

人口・住宅平均地価

主要施設

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  • 経済